1月29日は人口調査記念日です。1872年のこの日、明治政府による日本初の全国戸籍調査が行われました。この戸籍調査は前年の1871年の戸籍法に基づいて実施され、1872年に編製されました。編製の干支が「壬申」だったことから「壬申戸籍」と呼ばれました。当時の人口は、男が1679万6158人、女が1631万4667人で合計3311万825人でした。2015年の国勢調査による日本の総人口が1億2709万4745人でしたので、143年間で9000万人以上も増えたことになります。これはすごいことだと思います。
日本の戸籍制度は、645年の「大化の改新」に始まるといわれ、「大化の改新」の際の公地公民制による口分田を基礎に年貢を徴収するために国民を登録するようになった制度が、戸籍の前身と言われています。人口調査は一般的に税金を課すために行われます。奈良・平安時代頃は、女性の税金が男性より安いということで、異常に女性の比率が高い集計結果が出ていたことも多かったようです。平城京に都があった奈良時代の総人口は約600万人だったそうです。そのうち、約30分の1にあたる20万人ほどが首都、平城京に住んでいたと言われています。全国的な調査は、その後、室町時代の戦乱の中で中断していましたが、江戸時代になると「人別帖」編纂のため、再開されます。享保6年(1721年)の記録では日本の人口は2606万5千人という数字が出ています。江戸時代の後半の150年で日本の人口は1200万人増えたことになります。
世界一の大都市と言われた江戸も、奈良時代から続く全国の人口の30分1が江戸に住んでいたそうです。現在の首都、東京都の人口が1257万人ですから、全国の約10分の1が東京に住んでいることになります。現在のこの10分の1という人口比率が東京一極集中の結果、生まれた別格な数字なのであって、日本の歴史上、長きに渡って、首都の人口が全国の30分の1という数字はあまり変わることはなかったそうです。江戸時代の後半の150年間で1200万人増加に対して、明治から現在までの間の150年間で9000万人以上も増えたというのは急激な人口増加だったと言えるのではないでしょうか。江戸も徳川家康が幕府をひらくまでは小さな漁村でしかなかった場所ですから、急激な民族移動が起こったのは確かですが、その後もこの傾向が続いたということなのでしょう。
近年の人口調査は「国勢調査」という形で行われています。これは大正9年(1920年)から始まりました。その後5年毎に行われており、浮浪者でも調査官が公園などで集合をかけて調査するなどの徹底ぶりです。現在の国勢調査では既婚・未婚の別まで聞いていますが、毎回女性の既婚者の方が男性の既婚者より多く数字が出るという不思議が起こり、国勢調査の謎のひとつとなっています。夫が遠隔地に単身赴任、または長期出張に出ている場合、夫と妻は別々に調査されているため、夫が妻の分まで書いてしまっている(または逆のケース)ケース、一人の男性が複数の女性と事実婚状態にある場合が含まれているケース、夫と死別した女性が既婚者欄にチェックしてしまっているケースなどが考えられます。国勢調査では既婚未婚の別にしても性別にしてもすべて自己申告が原則ですので戸籍を集計したものとは結果は大きく変わってきます。戸籍には死後何年も放置されているものも含まれているのでどちらが正しいか定かではありませんが、直近に行った2020年の国勢調査はどういう結果になるのでしょうか。