「農家の三大厄日」のひとつ、「八朔(はっさく)の日」は、今年は9月17日です。農家の三大厄日は「八朔」「二百十日」(立春から210日目)、「二百二十日」(立春から220日目)のことを指します。台風が来ることが多く、農作物の被害が多かったことが由来とされています。「八朔」は八月朔日(はちがつさくじつ(ついたち))の略です。朔日(さくじつ)は1日という意味です。朔(さく)は一般的に「新月」のことをいい、旧暦では、新月の日を月初めとしていました。1日を「月立ち(つきたち)」と呼び、「つきたち」が転じて「ついたち」というようになり、「朔日」も「ついたち」という読み方になりました。
この時期は稲穂が実り始める時期で、農家では、八朔に新穀を主家や恩人などに贈る風習がありました。また、この時期は台風被害や害虫・鳥の被害を受けることも多くなるため、本格的な収穫を前に、豊作祈願と、田の実りをお供えするという意味を込めて、「田の実の節句」または「田の実の祝い」という行事が行なわれていました。「田の実の節句」と、新穀を主家や恩人などに贈る風習が一緒になり、「田の実」が「頼み」に転じ、親戚や地域で付き合いのある者同士で贈り物をすることで、お互いの結束を強める行事となり、鎌倉時代後期になると、この風習は武家社会にも取り入れられました。江戸時代には、徳川家康の江戸城入城が天正18年(1590年)八月朔日(旧暦8月1日)だったことから、八朔は幕府の重要な日として特に重んじられ、お正月の次に重要な日となり、「八朔御祝儀」として、大名や旗本が徳川将軍に祝辞を申し述べたそうです。また、花街でも八朔にあいさつ回りをする風習があり、現在でも京都では新暦8月1日に芸子さんや舞妓さんが正装姿で、茶屋や師匠のところをあいさつ回りするそうです。
みかんの一種である八朔は、1860年頃に広島県因島の寺の境内で偶然発見され、それを食べた寺の住職が「8月1日頃(現在では9月初め頃)には食べられる」といったことから、「八朔」と呼ばれるようになったそうです。しかし、この時期の八朔はまだ実が小さく酸味も強いことから、現在は12月~2月頃に収穫し、1~2ヶ月ほど冷暗所で熟成させてから出荷されています。現在の「八朔」の旬は2月・3月で、酸味が落ち着いて美味しい八朔を食べることができますが、旧暦8月1日頃から食べていたとすると、とても酸っぱかったのではないでしょうか。
「八朔」は、あまり馴染みのない行事ですが、現在でも京都などでは受け継がれているのです。時代とともに形を変えていきましたが、地域の人たちがお互いの結びつきを強めるため、今も大事にされているのでしょう。京都では新暦の8月1日に行なわれる伝統行事になっており、多くの観光客が見物に訪れるそうです。